二川ふれあい地域づくり委員会

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『幼いころから薪をなりわいの一つに』小松忠さん(粟谷地区)

たくさんの薪と小松さん

粟谷地区の杉成(すがなる)集落に住んでいる小松さんは、昭和14年に二川で生まれ、今日まで杉成で暮らしてきました。杉成には、旧二川小学校の分校があり、小松さんは6年生の2学期までここで学びました。その後、旧二川小学校(現:二川へき地保育園)に移り卒業、そのまま二川中学校(現:二川こうふく村)へ進学し、卒業後はすぐに働き始めたそうです。

小松さんは、湯原町時代に道路の維持・管理のお仕事を定年退職するまでの約30年間にわたって勤める傍ら、百姓として農作物を育て、更にご自身で所有されている山のお仕事もされていました。その中でも、薪については子供の頃から実家のなりわいの一つとして現在でもずっと続けているそうで、計算すると約60~70年ということになります。

小松さんの薪割りスタイルは、ご自身の山や別の山の間伐材、ご近所から伐倒を依頼された雑木等を適度の長さにチェーンソーで伐り、マサカリやカナヤ(金属製のくさびをカケヤ(木でできた槌)で叩いて薪を割る道具)を使用します。今でこそ伐木(木を切り倒すこと)や玉切りはチェーンソーを使用していますが、当時はノコギリ1本のみです。

杉成は、昔林業が栄えていた時期があり、その頃は外から杉成に人の流れがあったそうです。杉成分校も生徒が20名ほどいた時もあったとか。また、炭焼きの仕事や苗木栽培など山に関連する仕事が集落にあり、冬場になると除雪の仕事に切り替える等、季節に応じた働き方がありました。小松さんは、湯原町役場時代は忙しく、山の手入れに十分時間をかけることができなかったことが心残り、と少し寂しそうに話してくれました。

蘆尾神社へ向かう途中に、たくさんの薪が積まれている場所があります。そこが小松さんの作業場です。約80年続く杉成の暮らしがそこにあります。

(2018/4/18)

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