美甘地域づくり委員会

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横山廉造の略年譜と香杏館

横山廉造1828(文政11)-1884(明治17)

香杏館は 山田方谷の弟子であり医師の横山廉造氏が建てた住居兼薬剤調合所のこと。

横山廉造氏は明治17年57歳でお亡くなりになるまで香杏館で過ごされました。
とても勤勉で徳が高い方だったようで、貧しい人からはお金をもらわずに診療をおこなったり、
美甘小学校の前身となる施設に多額の寄付をおこなったりと、
美甘の歴史からは切り離すことのできない大偉人なのです!
 
年号 西暦 年齢 事柄
文政11 1828 1 1月4日:美甘村の庄屋の家の末っ子として生まれた。
文政13 42 15 3月:備中松山藩の山田方谷に入門して儒学を学ぶ
弘化2 1845 18 8月:備前邑久郡の久山楽山に入門、医学を学ぶ
嘉永元年 1848 21 9月:分家で医師の伯父 横山靖民の養子となり、娘と結婚
嘉永2 1849 22 8月:医学を修得
10月:上京して小石玄瑞に入門
嘉永4 1851 24 正月:大坂に下り、松岡順平・楢林栄建に入門
   その傍ら後藤松陰の塾に通い詩文を学ぶ
嘉永5 1852 25 江戸遊学を志すも兄に諭されて断念する。
3月:帰郷して医術開業
6月:勝山藩から目見格の待遇を受ける
安政3 1856 29 4~6月:讃岐から広島を経て九州各地を漫遊、
    熊本・長崎に滞在
慶応元年 1865 38 妻と離婚する(養子縁組は継続)
慶応2 1866 39 春、調合所を建築
慶応3 1867 40 3月:門人を連れて調合所へ移転、香杏館と称する
明治3 1870 43 7月:熱病にかかり死の淵から蘇生する
明治5 1872 45 5~9月:旧勝山藩主三浦氏夫人を治療
12月:夫人を東京まで護送
明治6 1873 46 5月:旧鶴田藩士保岡勝義の妹久子と再婚
子治8 1875 48 8月:学校資本金寄付により北上県から表彰
明治10 1877 50 4月:土蔵・後楼を増築
明治14 1881 54 2月:養子文造が大阪から帰郷して開業
3~5月:東京へ旅行、妻の里帰りも
実家5 1882 55 7月:大阪・京都へ旅行、旧小石家も訪問
明治16 1883 56 5月:京都を旅行中に喀血。静養して翌月帰宅
明治17 1884 57 2月:病床にて遺書をしたためる
3月17日:死去

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