蒜山自然再生協議会

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活動内容

草原再生

草原景観の広がる蒜山

「国立公園 蒜山」の通り、蒜山高原は大山隠岐国立公園の一部となっています。
その所以の1つが高原にひろがる草原景観であり、伝統的な集落の行事である「山焼き」によって維持されてきました。



ところが、1940年代にはおよそ1200haあった山焼き草原が、2023年現在では、およそ100haまで減少してしまいました。

では、なぜ蒜山では草原が広がっていたのか?それには実は大山が深く関わっています。

大山が100万年~50万年前まで繰り返し噴火した際に、蒜山にはその噴出物である黒ボク土が大量に堆積し、田畑の土壌基盤となっています。

黒ボク土は酸性で、特に稲作には向いていない性質を持っています。
そのため、蒜山の人々は、少なくとも700年ほど前から草原の草を刈って田畑の土壌改良材や肥料、農耕用の牛馬の餌として利用してきたのです。

ところが化学肥料や農業機械の普及、生活様式の変化などにより、わざわざ苦労して山焼きをして草原を維持する理由が無くなってきたこと、少子高齢化により山焼きなど草原を維持する担い手が減少してきたことにより、山焼きを行う動機が薄れてきました。

その結果、国立公園に指定された大きな要素である草原が減少してきており、さらには草原に深く結びつく歴史や文化の喪失にもつながるおそれが出てきています。



実は、蒜山の草原には、そのような歴史の中で草原にしか棲むことができない生き物がたくさん暮らしています。

しかし、草原の減少に伴って絶滅危惧種に指定されるようになっています。



私達は、地域で培われてきた山焼きや草刈り、茅刈の方法について尊重しつつ、現代でも成り立つ方法について模索しながら、草原の景観・生態系・生き物の再生に取り組んでいます。

湿原再生

湿地が点在する蒜山

今から数十万年程前、蒜山高原は湖でした。

元々は日本海に向かって川が流れていましたが、大山の噴火による火砕流で川が堰きとめられ、現在の高原地帯に広大な湖が形成されました。

それから長い年月の浸食作用により、現在の旭川が瀬戸内海にそそぐようになったのです。

その影響で蒜山の谷間(谷津)には、湿地が広がっており、高度経済成長期以前はその周辺で稲作が行われていました。

ところが、生活の近代化に合わせた耕作地の構造改善工事や、農業の機械化・高効率化が図られたことにより、アクセスのしにくい谷津の水田は放棄されています。

そして人が訪れなくなった湿原は、徐々に乾燥化や樹林化が進んでしまい、面積が減少しています。



湿原は、人間が何にも利用できない不毛な土地と思われることもありますが、実は草原と同様に、湿原にしか棲むことができない生き物はたくさんおり、それらの多くが絶滅危惧種に指定されています。

私たちは、小規模に残る湿原の面積を拡大させ、絶滅危惧種の数を増やして保全していく活動に取り組んでいます。

登山道整備

荒廃が進む登山道

蒜山には、標高1000m級と低山ながら、蒜山三座や三平山など眺望景観の楽しめる登山者に人気の山があります。

しかし、多数の登山者が訪れて山を楽しむ一方で、登山の重要なインフラである登山道は、踏圧に起因して荒れ続けています。

もし放っておくと道が大きく陥没してしまうなど、登山道周辺の貴重な生態系を破壊してしまうことにつながります。

実際に日本百名山に数えられるような著名や山では、登山道が通行禁止になるなど、大きな問題になっています。



蒜山では、まだ顕著な悪影響は見られません。

しかし、登山を禁止にしない限り、今後も絶えず負荷をかけ続けていくことになるため、何も対策をしなければ、いつかは危機的状況になることが懸念されます。

登山道周辺の持続的な生態系の保全

そこで、当協議会では、登山道の荒廃が小さい今のうちに、登山道周辺の持続的な生態系の保全を目的に、継続的に登山道をメンテナンスする仕組みを整え、整備活動を進めていくことにチャレンジしています。



これまでは登山道の整備は、その地域の行政が中心であり、必要に応じて予算を獲得して業者に整備業務を発注して整備を行うやり方が一般的でした。

しかし、当協議会では、行政と連携しつつ、地元の自然環境に関心のある地域住民や、登山道を利用する登山者やトレイルランナーも受益者負担の観点から巻き込むなど、様々な主体が関われる新しい登山道整備の仕組み構築を模索しながら取り組んでいます。



また、その整備の論理や技法として、大雪山山守隊(代表 岡崎哲三氏)が用いる「近自然工法」を取り入れながら取り組んでいます。

<関連リンク>
大雪山山守隊HP
パンフレット「登山道を直す~近自然工法の考え方と技法~」の作成について(信越自然環境事務所)

自然資源の活用

1)伝統工芸支援

日本では古くから、その土地の人々が里山から得られる独自の資源を活かして、生活に必要な様々な民具を製作していました。

現代まで紡がれて残ってきたものは伝統工芸品として各地の特産品になっています。

蒜山の場合は、代表的なものとして、シナノキの縄とヒメガマの茎を使って作られる「がま細工」と、クリを木地にして漆を塗る「郷原漆器」があります。

▲がま細工

しかし、そのような自然資源を活かした産物が、里山の荒廃とともに材料の減少が進む、あるいは少子高齢化や生活様式の変化により、新しく文化を紡ぐ担い手の減少が進むなど、継承の危機にあります。

蒜山の「がま細工」や「郷原漆器」も例外ではありません。


当協議会では、がま細工の製作主体である「蒜山がま細工生産振興会」と連携し、2つの支援活動をおこなっています。

①原材料であるヒメガマやシナノキの安定的な確保の支援
まずは現状把握として、ヒメガマの生育状況の調査やシナノキの分布状況の調査を行っており、今後はそれらの資源量をどのように増やしていくかにつなげていきたいと考えています。



②担い手確保の支援
製作に関心のある移住希望者や地域住民、観光客などを対象に、「がま細工」の歴史や製作工程を知り、編む体験ができるプログラムの運営を支援しています。

2)自然資源の再活用による古くて新しい産業の振興

里山には、かつては利用していたものの、現代では利用されなくなった資源がたくさん眠っています。

私たちは、現代社会の価値観やライフスタイルに合わせる形でニーズを掘り起こすことができれば、自然再生を進める中で再度収穫できるようになった資源を、新たな形で商品化し、経済ベースに載せることができ、その利益を自然再生に還元できるのではないかと考えています。

蒜山では、その代表的な資源として「茅」があります。



かつての蒜山の草原では、伝統的に3つの茅の利用形態がありました。

そのうちの1つとして、茅葺屋根や冬の雪囲い(住居の防寒設備)に使う茅を収穫する「茅山(かいやま)」がありました。

住居環境が代わり茅葺屋根や雪囲いが衰退するに伴い、蒜山でも茅の利用がほとんど途絶えてしまいました。



しかし、全国的に茅場が大幅に縮小し、茅の入手が困難になってきた近年は、寺社仏閣や古民家向けに、茅が高値で売れるようになりました。

幸いなことに、蒜山では地域の伝統行事として「山焼き」が残っています。
さらに、茅葺職人からお墨付きをもらえるほど、良好な茅が採れます。

そして、若手農家を中心としたグループとして「蒜山茅刈出荷組合」が設立され、農閑期の副業として茅を収穫して茅葺職人などに販売して利益を得ています。

協議会では茅が採れる土地の所有者との交渉や、組合の事務などを支援しています。